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ソロ・アーティストとして3度来日

ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散後にソロ・アーティストとして3度来日し、ツアーを行っている。だが、ウイングスとして活動していた1970年代に彼の来日公演が実現することはなかった。もともとウイングスは1975年に初の来日公演を行うはずだった。しかし来日直前になって法務省がマッカートニー夫妻の薬物犯罪歴でビザが取り消され、公演は中止となる。それから5年後の1980年に彼は再度ウイングスとして来日したものの、またも大麻不法所持の容疑で逮捕され、ツアーは中止された。この事件はスネークマンショーによりパロディにされるなど、日本の音楽界に大きな影響を与え、彼自身は「フローズン・ジャパニーズ」という日本を皮肉る曲を作った。

1980年の事件後にマッカートニーは入国管理局のブラック・リストに登録され、これにより日本には永久に入国できないことになっていた。しかし、彼の世界的な文化貢献の認知度などにより、日本入国の特別許可が認められることとなった。日本での事件から10年後の1990年3月、彼はビートルズ時代以来24年ぶりの来日公演を果たした。日本でのツアーで、彼は東京ドームで6公演を行った。

1993年11月にはワールド・ツアーの一環として再び来日し、東京ドームで3公演、福岡ドームで2公演を行った。

2002年11月、9年ぶりとなる来日公演を行い、東京ドーム3公演、大阪ドーム2公演を行った。

公演日程 [編集]
Get Back Tour In Japan 1990年3月3日、5日、7日、9日、11日、13日 東京ドーム
尚、この公演は当初、3月2日、3日、5日、6日、8日、9日、11日の計7公演が予定されていたが、2月初旬に行ったアメリカツアーで体調不良となり、公演直前に「公演日の日程を、1日置きにして欲しい。」と要求し、急遽7公演より6公演に変更した。なお、3月8日公演に延期公演は設定されず、また他の6公演も全席完売となっていた為他の公演日に振り返ることも出来ず、結局中止となりチケットの払い戻しを行った。また、3月9日の公演は「東京へ来られないファンへ、映像でコンサートを楽しんで欲しい」との趣旨で、「クローズド・サーキット」(実際のコンサートを、各地方都市の会場に衛星生中継を行い、映像にて楽しんでもらう企画)を行った。
THE NEW WORLD TOUR 1993年11月11日、14日、15日 東京ドーム、11月18日、19日 福岡ドーム
driving japan tour 2002年11月11日、13日、14日 東京ドーム、11月17日、18日 大阪ドーム

ディスコグラフィ [編集]

オリジナルアルバム [編集]
※ウイングス名義のアルバムについてはこちらを参照 (チャート;英:ミュージックウィーク/米:ビルボード)

マッカートニー - McCartney(1970年)(英2/米3週1)
ラム - RAM(1971年)(厳密には「ポール&リンダ」名義)(英2週1/米2)
マッカートニーII - McCartney II(1980年)(英2週1/米3)
タッグ・オブ・ウォー - Tug Of War(1982年)(英2週1/米3週1)
パイプス・オブ・ピース - Pipes Of Peace(1983年)(英4/米15)
ヤァ!ブロード・ストリート - Give My Regard To Broad Street(1984)(英1週1/米21)
プレス・トゥ・プレイ - Press To Play(1986年)(英8/米30)
バック・イン・ザ・USSR - Снова в CCCP - the russian album -(1988年-旧ソ連/1991年-英63/米109)
フラワーズ・イン・ザ・ダート - Flowers In The Dirt(1989年)(英1週1/米21)
オフ・ザ・グラウンド - Off The Ground(1993年)(英5/米17)
フレイミング・パイ - Flaming Pie(1997年)(英1/米2)
ラン・デヴィル・ラン - Run Devil Run(1999年)(英12/米27)
ドライヴィング・レイン - Driving Rain(2001年)(英46/米26)
ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード - Chaos And Creation In The Back Yard(2005年)(英10/米6)
追憶の彼方に〜メモリー・オールモスト・フル - Memory Almost Full(2007年)(英5/米3)

ライヴ盤および編集盤 [編集]
オール・ザ・ベスト - All The Best !(1987年)(英2/米62)
ポール・マッカートニー・ライブ!! - Tripping The Live Fantastic(1990年)(CD2枚組)(英17/米26)
ポール・マッカートニー・ライブ・ハイライツ!! - Trlpping The Live Fantastic-Highlights! (1990)(上記アルバムのダイジェスト版で1枚もの。アルバム未収録曲"All My Trials"収録)(英-/米141)英ではチャート・インしなかった。
公式海賊盤 - Unplugged-The Official Bootleg(1991年)(英7/米14)
ポール・イズ・ライブ - Paul Is Live(1993年)(英34/米78)
夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜 - Wingspan: Hits and History(2001年)(英5/米2)
バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002 - Back In The U.S.(2002年)(2枚組)(米8)
バック・イン・ザ・ワールド - Back In The World(2003年)(2枚組。上記作とは一部曲目の入替・追加有)(英5)

ザ・ファイアーマン(The Fireman)名義 [編集]
※ザ・ファイアーマンは、ポール・マッカートニーとユース(キリング・ジョーク、オーブ)による、プロジェクト。 結成当初は、覆面ユニットのインストゥルメンタル・アンビエント・ミュージックのプロジェクトであったが、3作目エレクトリック・アーギュメンツでは、ポール自らがボーカルと作詞作曲を務め、ロック色の強いバンドに生まれ変わっている。 また、前2作は、EMIからのリリースであったが、3作目では、世界各国のインディペンデント・レーベルと契約。日本では、Traffic Inc.からのリリースとなっている。(イギリスはONE LITTLE INDIAN、アメリカはATO RECORDSからのリリース)

ストリベリー・オーシャンズ・シップス・フォレスト - Strawberries Oceans Ships Forest(1993年 廃盤)
ラッシズ - Rushes(1998年)
エレクトリック・アーギュメンツ - Electric Arguments(2008年)

クラシック作品 [編集]
リヴァプール・オラトリオ -Liverpool Oratorio(1991年)
スタンディング・ストーン -Standing Stone(1997年)
ワーキング・クラシカル -Working Classical(1999年)
エッチェ・コール・メウム-Ecce Cor Meum(2006年)

その他 [編集]
スリリントン -Thrillington(1977年)
(RAM のインスト・バージョンともいうべき作品)

リヴァプール・サウンド・コラージュ -Liverpool Sound Collage(2000年)
Twin Freaks(ザ・フリーランス・ヘルレイザーと組んだリミックス・プロジェクト)

Twin Freaks(2005年) (LP、およびダウンロード販売のみのリリース)
ベース [編集]
カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(1本目 1961年製)
最初に入手した左利き用500-1。デビュー前よりキャバーン・クラブなどで使用していたため、通称キャバーンベースとして知られる。ヘッドのロゴが縦書きになっているタイプ。リア・ピックアップがフロント・ピックアップのすぐ隣についており、二つのピックアップの間隔が狭いことが2本目との最大の違いである。それまでビートルズのベーシストだったスチュアート・サトクリフが脱退しポールがベーシストに転向するにあたり、ハンブルクの楽器店で購入。ヘフナーを選んだ理由としてフェンダーベースより格段に安価であったこと、左利き用のベースがこのヘフナーしかなかったこと、シェイプが左右対称で左利きのポールが持っても違和感がなかったこと、ボディシェイプが「ビートルズ」の由来であるカブトムシ(Beetle)に似ていることなどが挙げられている。またショートスケールで弾きやすい上に、ベースとしては非常に軽く、肩がこらないため気に入っていると言われている。1963年に2本目のカール・ヘフナーを購入後は、コンサート時にスペアとしてバックステージに待機させていた。1965年頃には赤みの強いサンバーストの再塗装を施し、破損していたピックアップのエスカッションを作り直す。1968年にはシングル「レボリューション」のレコーディングで久しぶりに使用し、同曲のプロモーションビデオでも使用。さらに1969年の「ゲット・バック・セッション」でも使用していた。「ゲット・バック・セッション」終了後に盗難にあったと言われており、現在ポールはこのベースを所有していない。
カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(2本目 1962年仕様の1963年製)
2本目に入手した左利き用500-1。1963年10月頃入手。ヘッドのロゴが横書きの筆記体になっているタイプ。二つのピックアップの間隔は1本目より広めになっている。ポールのトレードマークとして有名になったのはこの2本目である。1964年まではレコーディング・ステージ双方においてポールのメインベースとして使用された。1965年にリッケンバッカー4001Sを手に入れてからはレコーディングに使用される頻度が減ったが、ステージに於いては1966年にコンサート活動を停止するまでメインベースとして使用された。1966年8月のビートルズ最後のアメリカツアーではジョージのエピフォン・カジノとともにピックガードが取り外された(ポールによるとその後ピックガードは紛失した)。1967年、シングル「ペニー・レイン」のプロモーションフィルムに登場して以降はレコーディングに使用されることもなく表舞台にも一切出なかったが、1969年の「ゲット・バック・セッション」で1本目とともにメインベースとして再登場し、アップル屋上でのライブでも使用された。ビートルズ解散後およびウイングス結成後は、レコーディング・ステージともにリッケンバッカー4001Sをメインにしていたため表舞台に出ることはなかった。1974年頃のウイングスのリハーサル風景を撮影した写真の中でアンプに立てかけてあったり、ギタリストのジミー・マッカロックが逆さにして弾いているショットが残されているが、ウイングス時代を通してレコーディングに使用されたことは一度もないと思われる。
1980年、ソロ名義で発売されたヒットシングル「カミング・アップ」のプロモーションビデオの中でポールがビートルズ時代の自身に扮し、このヘフナーを抱えて登場。続いて1982年の「テイク・イット・アウェイ」のプロモーションビデオでもこのヘフナーを演奏したが、レコーディングには使用されていないと思われる。
1989年、アルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッションにおいて、共作者のエルヴィス・コステロの勧めで再びヘフナー使用を決意。この際に本格的なリペアを施し、「マイ・ブレイブ・フェイス」「ディス・ワン」などの主要曲のレコーディングに使用。続いておこなわれたワールドツアーでは、1969年のアップル屋上ライブ以来20年ぶりにライブ演奏に使用し、ビートルズ時代のヒット曲も多数演奏した。1993年の2度目のワールドツアーからはメインベースとして、ウイングス時代の曲もヘフナーで演奏するようになり、以降コンサート・レコーディング双方に於いて再びメインベースとして使用され続けている。
なお、1993年の2度目のワールドツアーまで、ボディーサイドに1966年のビートルズ最後のコンサートツアーのセットリストが貼ってあったが、現在は剥がされている。この他にも、最近のポールのツアーでは新しいヘフナー(ピックガード付き)がスペアとして常備されているが、実際にポールが使用している写真などは確認されていない。また近年、1964年頃にカール・ヘフナー社からポールに贈られたと言われるゴールド・パーツ付きのヘフナーがオークションに出品され高額で競り落とされたが、ポール自身はこのヘフナーを「所有したことがない」と明言。実際にポールに贈られたことは事実のようであるが、このヘフナーを手にしている写真などが一切存在せず、また本人はまったく覚えていないらしい。本人が使用することなく他人に譲ったのか、ポール自身の手に渡る前に第三者の手に渡ったのかなど真相は一切明らかになっていない。
リッケンバッカー4001S(Rickenbacker 4001S)(1964年製)
リッケンバッカー社より贈呈された左利き用ベース。(当時イギリスではリッケンバッカーは独自のモデルを展開しておりドット・ポジションマーク、ノンバウンドボディの形状であるこのベースは#1999と呼ばれていた。通常の4001はバウンドボディにトライアングル・ポジションマークであったがクリス・スクワイア、ジョン・エントウィッスル、ピート・クウェイフといった有名ベーシストがこぞって#1999を使用していたことから4001Sとしてアメリカでも販売されることとなったもの。)トラスロッドカバーは通常の右利き用タイプなので肩に吊すと、先が上あがりになっている(通常は下さがり)。同社製ホースシュー・ピックアップが取り付けられ、ブリッジユニットはミュートが出来るようになっている。500-1と比べ硬く引き締まったサウンドが特徴。1965年の「ラバー・ソウル」レコーディングセッションからは、レコーディングにおいてのみメインベースとして使用されはじめ、1966年にはコンサートに於いてもスペアとしてバックステージに待機。1966年6月の来日公演にも持ってきていた。当初はファイア・グローと呼ばれる赤をぼかした色であったが、1967年にはジョンのギブソン・J-160E、ジョージのフェンダー・ストラトキャスターとともにサイケデリックな塗装が施され、1969年の「ゲット・バック・セッション」中に塗装を剥がされ、木の地肌を露出したナチュラル仕上げを施される。ビートルズ解散後、1971年にはボディーシェイプが削られ、全体がより丸みを帯びた姿になった。その直後に結成されたウイングス時代を通して、カール・ヘフナーに代わるポールのメインベースとして有名になった。1974年には、ビートルズ時代の1965年に損傷して一部が欠けていたピックガードを新品に交換し、ピッキングの邪魔になっていたリアのホースシュー・ピックアップをハイゲイン・タイプに交換している。
ウイングス解散以降もレコーディングやプロモーションビデオで使用され、1984年の映画「ヤァ!ブロードストリート」にも登場したが、1989年のアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッション以降はほとんど使用されていない。ただし、2002年からのワールド・ツアーではサブとしてスタンバイされており、同年の日本公演にも1966年同様持ち込まれていた。なお、現在の写真を見るとリアピックアップが再びホースシュー・タイプに交換されているようである。

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2009年04月10日 09:50に投稿されたエントリーのページです。

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